携帯電話が、小気味良い電子音を奏でた。誠の呼び出し音とは違うものだ。
液晶を見ると、映っていたのは意外な名前だった。
「礼人、どうしたんだ」
『今度久地階さんが帝南に来るって聞いたんで』
連絡をとるのは、実に二年ぶりのことだ。変わらぬ悠々とした口調が龍斗の頬を緩ませた。
「さすが耳が早いな」
『愛の力です』
慣れない人間なら戸惑うところだ。
だが、礼人がこんな台詞など誰にでも軽々しく使えてしまうことを、龍斗は知っている。
そうであることが判っての発言でもある。
『後輩が転校してきたらしいですね』
「ああ。そういえば、お前寮だろ。いろいろ教えてやってくれよ」
礼人は、持ち上がりの特権で、大学進学後も寮生活を続けているはずだ。
『あ、俺、つい最近寮出たんですよ』
「なんだ、残念だな。お前と同じ一人部屋らしいから」
聞いたとたん、礼人はえ、と声をもらした。
『……そうなんですか、』
驚きの声が新鮮で、龍斗は笑い混じりに答える。
「知らなかったのか。珍しいなお前が」
『それは……不味いな』
「不味い?」
『いや、なんでもないです』
礼人は歯切れ悪く言うと、思い出したように話題を変えた。
『母校じゃなくて帝南にしたのは、やっぱりその後輩の為ですか?』
「いや、后美は元々実習生を受け入れていないんだよ。それなりに特殊だからな」
『でも、理由の一つではあるでしょう』
「まあ、」
誠は、能力を得てから日が浅い。
まがりなりにも伝統校と言われる帝南でうまく生活出来ているのか、心配でないとは言えなかった。
『気を付けないと、厄介ごとに巻き込まれますよ』
「厄介ごと?」
『あそこの生徒は、只の能力持ちじゃありません。あの子も含めて』
「それって、」
誠が特別なのは、分かる。しかし他の生徒が普通じゃないとはどういうことだ。
混乱する龍斗の耳元で、携帯電話がノイズ混じりの礼人の声を鳴らす。
『まあ、近々お会いすることになるでしょうから』
「ちょ、礼人、」
『じゃあまた』
一方的に通話は打ち切られた。
龍斗の疑問は膨らむばかりだった。


かちゃ、と扉の開く音がした。
ここは一人部屋である。帰ってくる同室者などいはしない。
誠は、手にしていた文庫本をベッドに置いて、ゆっくりと立ち上がった。
在室中だからと、鍵を閉めないでいたのは迂闊だった。
昼間の教室でのことを思い出す。知らず知らずのうちに恨みをかっているということも考えられた。
まだ、有り余る力は制御できず、どんな能力かも分からない。だが、威嚇にはなるだろう。
近づく足音に注意深く耳を傾け、ともすれば速くなっていこうとする呼吸を宥める。
現れたのは、転校初日に誠に話しかけてきた生徒だった。なぜか敵対心は感じられない。
しかし、油断は出来ない。あの日の彼への仕打ちに対する報復に来た可能性もある。
緊張を緩めることなく立ち尽くす誠に、彼は不思議そうな視線を向けた。
「……ここ、鏡月くんの部屋?」
「当然だ」
初対面で名前を呼んでいた馴れ馴れしさは身を潜めていた。あれだけ拒絶されれば当然かもしれない。
それにしても不自然な問いだ。
いぶかしみながら答えると、彼は大きなため息をついた。
「もう、先輩はいつもそうなんだから」
「どういうことだ」
「あ、ごめんね。人違い。出ていくから気にしないで」
両手を合わせて、すまなそうな顔を作って見せる。これにほだされる男もいるのだろうが、誠には理解ができなかった。
「早く出ていけ」
「うん。……面倒なことになったらごめん」
「面倒?」
金髪の生徒は、言いにくそうに(これも演技かもしれない)うつむきぎみに言った。
「ほら、キミの部屋にボクが入ったのを見られてたりすると、」
よろしくない憶測を呼ぶということか。
理解はしたが、誠は強く言い放った。
「自意識過剰だろ」
「そうかもね、」
不満そうな顔で頷くと、次の瞬間にはまた、好奇心に溢れた瞳を向けてくる。
やたらに表情を動かすのは、偽物くさい。やはり仲良くは出来ない人間だ、と誠は結論付けた。
気づくと、部屋を出ようとしていたはずの体は、完全に誠の方を向いている。
「帰れ」
「待って。教えてほしいことがあったんだ。いい機会だし聞いてもいい、」
無断で人の部屋に入ってきた上に、都合も考えずに居座るのは図々しくはないだろうか。
苛立つ誠をよそに、彼は言葉を続けた。
「ねえ、鏡月くんて、やっぱりあの鏡月家の人なの」
聞いたとたん、誠は彼の襟首を掴んでいた。大きな音が出たのは、その華奢な体を壁に打ち付けたからだ。
派手な咳がいくつか部屋に響く。
「そういうことを、好奇心で聞くな」自分でも驚くほどの激昂であった。が、見上げたその顔は、穏やかな笑みを湛えていた。
ひゅう、と喉をならしながら、荒い息を整えた彼は、苦しげに口を動かす。
「……ボク、葉山なんて名乗ってはいるけど、千里の家の者なんだよ」
「ち、さと、だと……」
千里と言えば、鏡月とも深い関わりのある名家だ。
明らかに動揺した誠に、緩んだ腕から抜け出した葉山は、にこ、と笑みを浮かべた。
「とりあえず、洗面所借りてもいい?」

水の流れる音がする。
箱入り人魚は、嘘を歌うか。