「あれ、誰もいない」
談話室は、照明はついていたものの、綺麗に片付けられいて、誰かがいた形跡はなかった。
なにかの音を聞き間違えたのだろうか。
恐怖とはまた違う、嫌な感覚に襲われ、真也は照明を消すと病室まで振り返らずに戻った。

こんな時なのに、口を覆う手の冷たさが心地いいだなんて、と自嘲しながら、律夜はその主の顔を覗き込んだ。
「行ったな」
「よく解ったね、ネロ」
行きつけの病院ではあったが、入院については大っぴらにはしていなかった。見舞いに来る人間などいないと思っていたのに、今日はこれで二人目だ。
「一歩遅れたけどな」
誠のことをほのめかしながら、ネロは少し悔しそうに言い、背後から律夜の体を掻き抱く。その幼子のような態度に、面会時間外にどうやって、という疑問は呑み込んだ。
「なにを訊かれた、」
「色々。でも、なんにも解んなかったよ」
そう、律夜には、なにも解らない。なにも知らされない。
「そうか、」
暗い部屋の中に沈黙が落ちた。
ネロは律夜にしがみつくような抱擁をしながら、じ、と押し黙っていた。
「……ネロ、」
「ん」
「ボクは自分のことが知りたい」
ぎゅ、と抱き締める腕に力がこもった。応えるように、体を反転させて首に腕を回す。
感情的な動作の後ろに、聞き出さなくてはならない、と冷静な考えが確かにあった。
友人の弱さにつけこもうとする自分は、誠よりもずっと卑怯だ。
「律夜は知らなくていい」
「どうして、」
「アイツに関わるなよ、律夜!」
勇樹もネロも叔父も、誰も彼もが律夜を律夜でなくそうとしている。自己の確かな欠落を、埋めさせようとはしない。
それはきっと、幸せなはずなのに。今までずっと満足していたのに。
「黒上七、」
その名に、ぴくり、と自分を抱く体が反応した。
「富月癒音、道野ケイ、紺野晶、」
「律……夜?」
「ユーキ先輩ったら、ほんと隙だらけだよねえ」
「律夜!」
いつか盗み見た手帳の中身を少し、そらんじて見せれば、ただでさえ冷たいネロの手のひらが、更に冷たくなる。
「おかしいのはボクと誠くんだけじゃないんだね」
「……」
「ねえ、なにを隠してるの」
ネロは口を開かず、律夜の耳の下を噛んだ。寝間着のボタンが外される。
誤魔化されるのは嫌なのに、冷たい唇が皮膚を撫でれば、体はもういうことをきかない。
融解していく意識の中で、さっき口に出来なかった名前が、なんども頭を巡った。

会いたい、会いたいよ