「お兄ちゃん」
どこか聞き覚えのある声が、ロビーへ続く廊下へ響いた。
黒髪の少女は、可愛らしい顔ではあるが、中高生にはありがちな、見覚えがある、とは言い切れない顔だちをしている。
隣に並んで歩く道野が、少し動揺したのに気づいた瑞穂は、どこでその声を聞いたかを思い出した。
帝女との合同練習だ。多分、中等部をまとめる役目をしていたのだろう。
あと一本、と感情と理性を上手く配分したかけ声は、個性的ではないが、グラウンドの中でもよく通る声で瑞穂の耳に残っていた。
確か、あの三年生の妹、だったか。
道野が見せた動揺は一瞬で、会話をする兄妹には一瞥さえしない。
無関心を装う彼の心情は分からないが、瑞穂はそれを話題にするつもりはなかった。
触れられたくない部分に近づいているのは、むしろ自分の方だ。今、道野にやり返されたら、自分はここから逃げ出してしまうに違いない。
バスに乗っていた帝南生はみな、特別病棟に向かっているようだった。
ロビーからの廊下は長い。床石も壁も白く、清潔感があるが、無機質にも感じる。
病棟に近づくにつれ、無秩序の力の波が、ノイズとなって僅かに瑞穂の鼓膜を揺さぶった。船の汽笛のような、低く太い雑音だ。
それは、病棟入り口にある待合室へ入ると、より強くなった。
「早く行こう、」
返事を待たずに道野の歩調が早くなる。瑞穂もそれに合わせた。
病室のあるフロアでは、力を遮断する機能が働いているはずだ。
頭が痛い。
先にエレベーターの前で待っていた道野は、苛だたしげに上を示すボタンを何度も押していた。物にあたるような質ではない彼にしては、珍しい行動だ。
感覚系の能力を持つ道野の方が、瑞穂の何倍も不快感が強いのだ。
「何階だっけ、」
背後の声に振り向くと、あの、名札を持っていた中等部の生徒が、隣にいる生徒を見上げている。元々健康そうではなかったが、今はいっそう顔が蒼白く見えた。
「七階だよ」
傍らに立つ茶髪の生徒は、答えると、優しげな眼差しで微笑んだ。しかし、その労るような表情も、正面を向いて口許を固く結んだものに変わった。
七階なら、瑞穂たちと同じだ。
眉間を摘まんでうつむく道野のとなりで、厚い鉄の扉がゆっくりと開いた。

ぼう、ぼおう